労災の損害賠償額|計算の内訳と方法、労災保険との調整まで解説
業務中の事故で従業員が被災した場合、会社は労災保険の手続きを進めるだけでなく、従業員から別途損害賠償を請求される可能性も考慮しなければなりません。労災保険で補償される範囲と、会社が法的に負う損害賠償責任の範囲は異なり、特に慰謝料などは会社の負担となる可能性があります。この記事では、労災保険給付と会社の損害賠償責任の違い、賠償額を構成する費目(慰謝料、逸失利益など)の具体的な計算方法、そして労災保険給付額との調整(損益相殺)の仕組みについて、法的な根拠と共に詳しく解説します。
労災保険給付と会社の損害賠償責任の違い
労災保険給付の目的と補償される範囲
労災保険給付は、労働者が業務または通勤が原因で負傷・疾病・死亡した場合に、被災した労働者やその遺族の生活を保護するための公的な制度です。この制度は、労働基準法で定められた会社の災害補償責任を国が肩代わりするもので、会社の過失の有無にかかわらず、原則として、業務と傷病との間に因果関係(業務起因性)が認められれば給付が行われます。
労災保険の給付内容は多岐にわたりますが、発生した損害の全額を補償するものではない点に注意が必要です。特に、精神的苦痛に対する慰謝料は給付対象外です。
- 療養(補償)給付: 労災指定医療機関での治療費など(現物支給が原則)。
- 休業(補償)給付: 休業4日目から、休業1日につき給付基礎日額の60%が支給されます。
- 障害(補償)給付: 後遺障害が残った場合に、その等級に応じて年金または一時金が支給される。
- 遺族(補償)給付: 労働者が死亡した場合に、遺族の人数などに応じて年金または一時金が支給される。
- 葬祭料(葬祭給付): 労働者が死亡した場合に、葬儀を行う者に対して支給される。
また、上記の給付に加えて、社会復帰促進等事業として「特別支給金」が上乗せされます。例えば休業補償給付の場合、給付基礎日額の20%相当の休業特別支給金が加算されるため、実質的には、給付基礎日額の約80%が補償されることになります。
会社への損害賠償請求で補填される損害(慰謝料など)
労災保険給付は、あくまで法律で定められた定型的な補償であり、被災労働者が被った損害のすべてをカバーするものではありません。労災保険では補償されない損害については、会社に安全配慮義務違反や使用者責任がある場合、民事上の損害賠償請求を行うことができます。
会社への損害賠償請求によって補填されるのは、主に労災保険の給付対象外である損害や、給付額を超過する部分です。
- 慰謝料: 労災保険制度にはない費目で、精神的苦痛に対して支払われるもの。入通院慰謝料、後遺障害慰謝料、死亡慰謝料がある。
- 休業損害の差額: 労災保険の休業(補償)給付と特別支給金(合計約80%)では補填されない、賃金の残り約20%部分。
- 逸失利益の不足分: 労災保険の障害(補償)給付や遺族(補償)給付だけではカバーしきれない、将来得られたはずの収入の不足分。
特に慰謝料は、後遺障害の程度や死亡事故の場合には数千万円に達する可能性もあり、損害賠償請求において非常に重要な項目となります。
労災保険給付と損害賠償金の関係性
労災保険給付と会社からの損害賠償金は、同一の労働災害による損害を補填する目的を持つため、損害填補の範囲で二重に受け取ることはできません。これを「損益相殺」といい、既に受け取った労災保険給付分は、会社が支払うべき損害賠償額から差し引かれます。
例えば、損害賠償額の総額が3,000万円で、労災保険から障害(補償)給付として1,000万円を受け取った場合、会社に請求できる金額は差額の2,000万円となります。この調整により、被害者が実際の損害額を超えて利得を得ることを防ぎ、損害の公平な分担が図られると考えられています。
ただし、すべての労災保険給付が損益相殺の対象となるわけではありません。損害の補填を目的としない「特別支給金」は、労働福祉事業の一環として支給されるため、損害賠償額から差し引かれないと解されていますという重要なルールがあります。したがって、被害者は特別支給金を受け取りつつ、その金額を控除することなく会社に損害賠償を請求できます。
会社が損害賠償責任を負う法的な根拠
安全配慮義務違反(労働契約法第5条)
会社が労働者に対して損害賠償責任を負う最も主要な根拠が、労働契約法第5条に定められた「安全配慮義務違反」です。この義務は、会社が労働者の生命や身体の安全を確保しつつ働けるように、必要な配慮を行うことを求めるものです。
安全配慮義務の具体的な内容は、職種や作業状況によって異なりますが、会社は業務に伴う危険を予測し、それを回避・防止する措置を講じる必要があります。物理的な危険の防止だけでなく、精神的な健康への配慮も含まれます。
- 物理的・環境的配慮: 機械設備の安全装置設置や定期点検、高所作業での転落防止措置、有害物質からの保護具支給など。
- 健康的・精神的配慮: 長時間労働の是正による過労防止、ハラスメント防止措置の構築、精神疾患発症の予防など。
会社がこれらの義務を怠った結果、労働者が死傷した場合には、債務不履行責任として損害賠償責任を負うことがあります。責任が認められるためには、会社が危険を予見できた可能性(予見可能性)と、対策を講じれば結果を回避できた可能性(結果回避可能性)があったことが、責任が認められる上での要件となります。
使用者責任(民法第715条)
もう一つの重要な法的根拠が、民法第715条に定められた「使用者責任」です。これは、従業員(被用者)が業務の執行中に、他の従業員や第三者に損害を与えた場合、雇用主である会社も連帯して賠償責任を負うというものです。
この責任は、会社が従業員を使って利益を上げている以上、その活動に伴うリスクも負担すべきという報償責任の考えに基づいています。例えば、ある従業員の過失(フォークリフトの操作ミスなど)によって同僚が負傷した場合、加害した従業員個人だけでなく、会社も被害者に対して賠償責任を負います。
- 使用者と被用者の間に使用関係があること。
- 被用者の行為が事業の執行について行われたこと(業務に関連する行為も広く含まれる)。
- 被用者の行為が第三者に対する不法行為にあたること。
- 被用者自身に故意または過失があること。
会社は、従業員の選任・監督について相当の注意を尽くしたことを証明すれば免責されると定められていますが、実務上、この免責が認められることは極めて稀であるとされています。
損害賠償の内訳となる主な費目
治療費や将来の介護費などを含む「積極損害」
積極損害とは、労働災害が発生したことにより、被害者が実際に支出を余儀なくされた金銭的な損害を指します。これらは、医学的または社会通念上、必要かつ相当な範囲で認められます。
- 治療関係費: 診察料、手術費、入院費、薬剤費など。
- 通院交通費: 公共交通機関の運賃や、症状によってはタクシー代。
- 入院雑費: 入院中に必要となる日用品などの購入費(定額で算定されることが多い)。
- 将来介護費: 重度の後遺障害が残り、将来にわたって介護が必要な場合の費用。
- 装具・器具購入費: 義肢、車椅子、介護ベッドなどの購入・買い替え費用。
- 家屋・自動車改造費: バリアフリー化のための住宅リフォーム費用や、車両の改造費。
- 葬儀関係費用: 死亡事故の場合の葬儀費用(上限額あり)。
休業損害や逸失利益にあたる「消極損害」
消極損害とは、労働災害がなければ将来得られたはずなのに、得られなくなってしまった収入や利益を指します。主に「休業損害」と「逸失利益」の2つに分類されます。
- 休業損害: 事故による怪我の治療のために仕事を休んだことで生じた、現実の収入減少分を補償するもの。
- 逸失利益: 後遺障害が残った、または死亡したことにより、将来にわたって得られなくなった収入を補償するもの。
逸失利益は、後遺障害が残った場合の「後遺障害逸失利益」と、死亡した場合の「死亡逸失利益」に分けられます。これらは将来の収入を前倒しで受け取るため、中間利息を控除する計算(ライプニッツ係数を使用)が行われます。
精神的苦痛に対する「慰謝料」(入通院・後遺障害)
慰謝料とは、労働災害によって被害者が受けた精神的・肉体的な苦痛を金銭に換算して賠償するものです。労災保険では支払われないため、会社への損害賠償請求において中心的な項目の一つとなります。
- 入通院慰謝料: 入院や通院を強いられたことによる精神的苦痛に対する補償。治療期間や実通院日数に応じて算定される。
- 後遺障害慰謝料: 治療を尽くしても後遺障害が残ってしまったことによる、将来にわたる精神的苦痛に対する補償。認定された後遺障害等級に応じて基準額がある。
- 死亡慰謝料: 死亡した被害者本人の無念や、遺族が受けた精神的苦痛に対する補償。被害者の家庭での立場などにより基準額が異なる。
【費目別】損害賠償額の具体的な計算方法
休業損害の計算(基礎収入と休業日数)
休業損害は、原則として以下の計算式で算出されます。
1日あたりの基礎収入 × 休業日数 = 休業損害額
給与所得者の場合、1日あたりの基礎収入は、原則として事故発生前の直近3ヶ月間の給与総額を90日(または実稼働日数)で割って算出します。休業日数には、仕事を休んだ日に加え、取得した有給休暇の日も含まれることが一般的です。自営業者の場合は前年度の確定申告所得額、専業主婦(主夫)などの家事従事者は賃金センサス(国の賃金統計)を基に基礎収入を算定します。
後遺障害逸失利益の計算式と労働能力喪失率
後遺障害逸失利益は、後遺障害によって労働能力が低下し、将来得られなくなった収入を補償するもので、以下の式で計算されます。
基礎収入 × 労働能力喪失率 × 労働能力喪失期間に対応するライプニッツ係数 = 後遺障害逸失利益
- 基礎収入: 原則として事故前年の年収。
- 労働能力喪失率: 後遺障害等級に応じて定められた割合(例:第14級で5%、第12級で14%など)。職種や実態に応じて修正されることもある。
- 労働能力喪失期間: 症状固定時から原則として67歳までの年数。ただし、むち打ち症などでは、症状の程度や内容に応じてより短い期間(おおむね5年~10年程度)に制限されることがあります。
- ライプニッツ係数: 将来の収入を現在価値に換算するための係数。
死亡逸失利益の計算式と生活費控除率
死亡逸失利益は、被害者が生きていれば得られたはずの将来の収入から、生きていればかかったはずの生活費を差し引いて計算します。この差し引く割合が「生活費控除率」です。
基礎収入 × (1 – 生活費控除率) × 就労可能年数に対応するライプニッツ係数 = 死亡逸利益
生活費控除率は、被害者の家庭内での立場によって目安が異なります。
| 被害者の立場 | 生活費控除率の目安 |
|---|---|
| 一家の支柱(被扶養者あり) | 30% ~ 40% |
| 女性(主婦、独身含む) | 30% |
| 独身男性 | 50% |
慰謝料の算定で用いられる裁判上の基準
慰謝料の算定基準には複数の種類がありますが、弁護士が交渉や裁判で用いるのは、最も高額となる傾向がある「裁判基準(弁護士基準)」です。この基準は過去の裁判例の蓄積から形成されています。
| 慰謝料の種類 | 基準額の目安 |
|---|---|
| 入通院慰謝料 | 治療期間に応じて算定表(通称「赤い本」の別表)を用いて算出する。 |
| 後遺障害慰謝料 | 第14級で110万円、第12級で290万円、第1級で2,800万円など、等級ごとに定められている。 |
| 死亡慰謝料 | 一家の支柱で2,800万円、母親・配偶者で2,500万円、その他で2,000万~2,500万円。 |
これらの金額はあくまで目安であり、事故の態様や加害者の対応など、個別の事情によって増減することがあります。
賠償額が調整・減額される仕組み
労災保険給付分を差し引く「損益相殺」の考え方
損益相殺とは、労働災害という同一の原因によって損害と利益(労災保険給付)の両方が生じた場合に、損害賠償額からその利益分を差し引くことです。これは、被害者が損害額を超えて利得を得る「二重取り」を防ぎ、損害の公平な分担を図るための仕組みです。
会社に請求する損害賠償額を計算する際は、既に労災保険から支給された、または支給が確定している給付額を損害総額から控除します。例えば、損害総額が1,000万円で、労災保険から300万円が給付された場合、会社への請求額は700万円となります。
損益相殺の対象となる給付・ならない給付の区別
労災保険から支払われるすべての給付金が損益相殺の対象になるわけではありません。給付の性質によって、損害賠償額から差し引かれるものと、そうでないものに分けられます。
| 損益相殺の対象となる給付金(損害填補目的) | 損益相殺の対象とならない給付金(損害填補目的以外) |
|---|---|
| 療養(補償)給付 | 特別支給金(休業、障害、遺族など) |
| 休業(補償)給付 | 被害者が自身で掛け金を支払っていた生命保険金や傷害保険金 |
| 障害(補償)給付 | 香典や見舞金 |
| 遺族(補償)給付 | – |
| 介護(補償)給付 | – |
特に、労災保険の特別支給金は損益相殺の対象外である点は、最終的な受取額に大きく影響するため重要です。
労働者側の過失割合を考慮する「過失相殺」
過失相殺とは、労働災害の発生や損害拡大について、被災した労働者側にも不注意などの過失があった場合に、その過失割合に応じて損害賠償額を減額する仕組みです。
例えば、会社が禁止していた危険な作業方法を労働者が独断で行った、支給された保護具を着用しなかったなどのケースが該当します。裁判所が「会社側の過失7割、労働者側の過失3割」と認定した場合、損害額が1,000万円であれば、3割にあたる300万円が減額され、賠償額は700万円となります。
ただし、労働者は会社の指揮命令下にあるため、一般の交通事故などと比較して、労働者の過失割合は低く認定される傾向にあります。なお、労災保険給付には、原則として過失相殺は適用されません。
労働者個人の要因を考慮する「素因減額」
素因減額とは、被害者が事故前から持っていた既往症や身体的・心因的な特性(素因)が、損害の発生や拡大に影響したと考えられる場合に、その寄与度に応じて賠償額を減額する法理です。
例えば、もともと椎間板ヘルニアの持病があった労働者が、事故の衝撃で症状が著しく悪化した場合、既往症が損害拡大に寄与したとして、賠償額の一部が減額される可能性があります。ただし、単に平均より体格が劣る、少し気が弱いといった程度の個人的特徴は「個性の範囲内」とされ、一般的に素因減額の対象にはなりません。疾患と評価されるレベルの既往症などが影響した場合に限り、適用が検討されます。
損害賠償額の相場を知るための裁判例
死亡事故における高額賠償が認められた事例
死亡事故の損害賠償額は、被害者の年齢、収入、家族構成などによって大きく変動します。特に、働き盛りで扶養家族がいる一家の支柱が亡くなった場合、将来得られたはずの収入(逸失利益)が多額になるため、賠償額は高額化する傾向にあります。
裁判基準における死亡慰謝料は、一家の支柱の場合2,800万円が目安とされています。逸失利益と合計した賠償総額は、1億円を超えることもあります。事故の態様が悪質である場合などには、慰謝料が増額されるケースもあります。
重度の後遺障害が残った場合の賠償事例
脊髄損傷による四肢麻痺や遷延性意識障害(植物状態)など、常時介護を要する重度の後遺障害が残った場合、賠償額は死亡事故を上回ることがあります。これは、逸失利益や後遺障害慰謝料に加えて、生涯にわたる将来介護費が損害として認められるためです。
例えば、職業介護人と近親者による介護費用が平均余命までの期間分認められた結果、将来介護費だけで数千万円から1億円以上になることもあります。その結果、賠償総額が2億円を超える高額な賠償が命じられた裁判例も存在します。
過労死・精神疾患(メンタルヘルス)に関する事例
かつては立証が困難とされた過労死(脳・心臓疾患)や、長時間労働・パワーハラスメントを原因とする精神疾患(うつ病など)についても、近年は会社の安全配慮義務違反を認める裁判例が多数出ています。
月80~100時間を超えるような恒常的な長時間労働があった場合や、上司による執拗なパワハラがあったにもかかわらず会社が適切な措置を講じなかった場合などには、会社の責任が認められ、数千万円単位の高額な賠償が命じられるケースがあります。これらの事案では、会社が労働時間を適切に管理し、労働者の心身の健康を守るための具体的な措置を講じていたかが厳しく問われます。
従業員からの損害賠償請求から解決までの流れ
従業員(被災労働者)から会社への損害賠償請求は、一般的に以下のような流れで進みます。
- 内容証明郵便による請求通知: 従業員側の弁護士から、事故の事実、法的根拠、損害額の内訳などを記載した請求書が内容証明郵便で会社に届くことから始まります。
- 事実調査と証拠保全: 会社は請求内容を精査し、社内で客観的な事実調査を行います。関連する書類(タイムカード、業務日報、安全教育の記録など)を保全し、関係者から聞き取りを行います。
- 弁護士を介した示談交渉: 会社も弁護士に依頼し、従業員側と賠償額や過失割合について交渉を行います。双方が合意できれば、後日の紛争を防ぐための清算条項を含む「示談書(和解契約書)」を取り交わし、解決となります。
- 労働審判・民事訴訟への移行: 示談交渉がまとまらない場合、従業員側は裁判所に労働審判の申立てや民事訴訟の提起を行います。労働審判は迅速な解決を目指す手続きですが、そこで合意できなければ自動的に訴訟に移行します。訴訟では、法廷で互いの主張・立証を行い、最終的には裁判所が判決を下します。
内容証明郵便による請求通知への対応
従業員やその代理人弁護士から内容証明郵便で請求通知が届いたら、それは法的な手続きの開始を意味します。通知書に記載された回答期限を確認し、無視することなく誠実に対応する必要があります。自己判断で安易に回答すると、後の交渉や裁判で不利な証拠となり得る可能性があるため、まずは弁護士などの専門家に相談し、慎重に対応方針を検討することが重要です。事実関係の確認を急ぎ、専門家のアドバイスのもとで回答書を作成します。
請求を受けたらまず行うべき客観的な事実調査と証拠保全
請求通知を受け取ったら、直ちに社内で客観的な事実調査を開始し、関連する証拠を確保(保全)することが不可欠です。調査すべき事項は、事故の状況、原因、会社の安全管理体制、労働時間の実態、健康診断の結果、ハラスメントの有無など多岐にわたります。
- タイムカード、PCのログイン・ログオフ記録
- 業務日報、電子メールの送受信記録
- 安全衛生委員会の議事録、安全教育の実施記録
- 産業医の面談記録、健康診断結果
- 事故現場の写真や図面
これらの客観的な証拠を早期に集めることで、請求内容の妥当性を判断し、交渉や裁判に備えることができます。
弁護士を介した示談交渉の進め方
事実調査の結果を踏まえ、会社側の見解が固まったら、弁護士を代理人として従業員側との示談交渉を開始します。会社に責任があると考えられる場合は、裁判基準を参考にしつつ、労災保険給付との損益相殺や過失相殺を考慮した妥当な賠償額を提示し、早期の円満解決を目指します。
交渉がまとまり合意に至った場合は、必ず「示談書」を作成します。示談書には、賠償額、支払方法のほか、示談書に記載された内容以外には一切の債権債務がないことを確認する「清算条項」を必ず盛り込み、将来の追加請求を防ぐことが極めて重要です。
交渉不成立時の労働審判・民事訴訟への移行
当事者間の示談交渉で合意が成立しない場合、紛争解決の場は裁判所に移ります。従業員側は、より迅速な解決が期待できる「労働審判」を申し立てるか、あるいは直接「民事訴訟」を提起します。
労働審判は、原則3回以内の期日で審理を終え、調停(話し合いによる解決)または審判(裁判所に準じた判断)が下されます。ここで解決しない場合は、自動的に民事訴訟に移行します。民事訴訟は、判決までに1年以上の長期間を要することも少なくなく、会社にとっては時間的・経済的な負担に加え、企業の評判にも影響を与えかねないため、訴訟のどの段階であっても、裁判所の勧告に応じて和解による解決が図られることも多くあります。
労災の損害賠償に関するよくある質問
損害賠償請求権に時効はありますか?
はい、損害賠償請求権には時効があります。会社に対する請求の根拠によって時効期間が異なりますが、人の生命・身体の侵害に関する損害賠償請求権は、民法改正により被害者またはその法定代理人が損害および加害者を知った時から5年、または不法行為の時から20年とされています。労災事故の場合、基本的には事故発生時から5年と考えておくとよいでしょう。
従業員の家族から慰謝料を請求されることはありますか?
はい、あり得ます。従業員本人が死亡した場合、またはそれに比肩するような重篤な後遺障害(例:遷延性意識障害)が残った場合、被害者本人の慰謝料とは別に、その配偶者、子、父母といった近親者固有の慰謝料請求権が民法上認められています。これは、近親者が被った甚大な精神的苦痛に対する賠償です。
示談で解決する場合、どのような点に注意すべきですか?
示談で解決する際には、以下の点に注意が必要です。
- 必ず書面(示談書)を作成する: 口約束は避け、合意内容を明確に書面化する。
- 賠償額の内訳を明確にする: 労災保険給付との調整(損益相殺)を済ませた最終的な金額であることを明記する。
- 後遺障害の発生に備える: 示談当時に予測できなかった後遺障害が発生した場合の取り決めを記載することが望ましい。
- 清算条項を盛り込む: 示談書に定める以上の請求は相互に行わないことを確認する条項を入れる。
示談書に盛り込むべき清算条項の重要性とは?
清算条項は、「本示談書に定めるもののほか、甲乙間には本件に関し何らの債権債務が存在しないことを相互に確認する」といった内容の条項です。この条項を盛り込むことで、示談によって紛争が最終的かつ完全に解決したことを法的に確認できます。これにより、会社は将来、被害者から同じ事故を理由とする追加の損害賠償請求をされるリスクをなくすことができるため、紛争の蒸し返しを防ぐ上で不可欠な条項です。
パート・アルバイト従業員の損害賠償額の計算方法は異なりますか?
損害賠償責任の有無や賠償の費目(治療費、慰謝料など)については、正社員とパート・アルバイトで違いはありません。ただし、休業損害や逸失利益の算定の基礎となる「基礎収入」の計算方法が異なります。原則として、事故前の実際の収入を基に計算されるため、正社員に比べて基礎収入額は低くなる傾向があります。しかし、将来的に正社員になる蓋然性が高かったなどの事情があれば、平均賃金(賃金センサス)を参考に基礎収入が算定されることもあります。
まとめ:労災の損害賠償は「損益相殺」と法的根拠の理解が重要
労災事故が発生した場合、会社は労災保険給付とは別に、「安全配慮義務違反」などを根拠として従業員から損害賠償を請求される可能性があります。この賠償責任は、労災保険ではカバーされない慰謝料や、逸失利益・休業損害の不足分などを補填するものです。損害賠償額は、慰謝料や逸失利益といった費目ごとに裁判上の基準を用いて具体的に算定されますが、既に支払われた労災保険給付分を差し引く「損益相殺」や、労働者側の過失を考慮する「過失相殺」によって最終的な金額が調整されます。特に、労災保険の「特別支給金」は損益相殺の対象外であるという点は、賠償実務において重要な知識となります。万が一、従業員から損害賠償を請求された場合は、安易に対応せず、速やかに弁護士などの専門家に相談し、事実関係を調査した上で、示談交渉や法的手続きに備えることが肝要です。

