労災年金は差押禁止?原則と例外、口座差押え時の対処法を解説
企業の法務・人事担当者として、従業員が関わる金銭問題への対応には正確な法的知識が不可欠です。特に、労働災害に遭った従業員が受け取る労災年金が、第三者からの差押えの対象となるのか、また会社が持つ債権と相殺できるのかは、実務上きわめて重要な論点となります。この記事では、労災年金の差押えに関する基本原則と法的根拠、差押えが可能となる例外的なケース、そして万が一差し押さえられた場合の対処法まで、担当者が押さえておくべきポイントを詳しく解説します。
労災年金の差押えに関する基本原則と法的根拠
結論:労災年金の受給権は原則として差押えが禁止されている
労働災害によって被災した労働者やそのご遺族の生活を保障するため、労災年金を受け取る権利(受給権)は法律で強く保護されており、原則として差押えが禁止されています。これは、労災保険給付が被災者や遺族の最低限度の生活を支えるという社会保障制度としての目的を持つためです。したがって、債権者が裁判所を通じて強制執行を申し立てたとしても、労災年金の受給権そのものを差し押さえることはできません。
この保護は、受給権の譲渡や担保提供にも及び、これらも同様に禁止されています。仮に受給者が自らの意思で権利を譲渡する契約を結んだとしても、その契約は法的に無効となります。ただし、この原則には例外が存在し、特に年金が銀行口座に振り込まれた後の取り扱いについては注意が必要です。
差押えが禁止される法的根拠|労働者災害補償保険法第12条の5
労災年金の受給権が差押えから保護される直接的な法的根拠は、労働者災害補償保険法第12条の5に定められています。この条文は、受給権の安定性を確保するための重要な規定です。
- 第1項: 保険給付を受ける権利は、労働者が退職しても変更されないと定めています。
- 第2項: 保険給付を受ける権利は、譲渡、担保提供、または差押えができないと明確に禁止しています。
この規定は「強行法規」であり、当事者間で差押えを認める合意をしたとしても、その合意は無効です。国民年金法や厚生年金保険法など、他の公的年金制度にも同様の趣旨の規定が設けられており、社会保障給付全般に共通する保護原則となっています。
「差押え」と「相殺」の違い|会社は労災年金と債権を相殺できるか
「差押え」と「相殺」は、債権回収の手段として混同されがちですが、法的な性質が異なります。労災年金の受給権は、どちらの方法によっても侵害されないよう保護されています。
| 項目 | 差押え | 相殺 |
|---|---|---|
| 手続きの主体 | 裁判所などの公的機関 | 債権者・債務者(当事者間) |
| 法的性質 | 裁判所の命令に基づく強制執行手続き | 当事者の一方的な意思表示による債権の消滅 |
| 労災年金受給権 | 禁止(労災保険法第12条の5) | 禁止(差押禁止債権のため民法第510条により不可) |
したがって、会社が従業員に対して貸付金などの債権を持っていても、その債権と国から支給される労災年金を一方的に相殺することはできません。ただし、年金が銀行口座に振り込まれ「預金債権」に性質が変わった後、その預金が相殺の対象となるかについては、判例上は原則として可能と解されており、異なる法的判断がなされる点に注意が必要です。
【例外】労災年金が事実上、差し押さえの対象となる3つのケース
ケース1:年金が預金口座に振り込まれ「預金債権」となった場合
労災年金の受給権そのものは差押えが禁止されていますが、年金が金融機関の預金口座に振り込まれた瞬間、その法的な性質は「受給権」から「預金債権」へと変化します。最高裁判所の判例は、一度預金債権となった金銭は、原則として差押えが禁止されるという元の権利の性質を引き継がないと判断しています。
これにより、預金口座に入金された労災年金は、受給者の他の財産と混ざり合ったものとみなされ、債権者による差押えの対象となり得ます。債権者は預金口座を特定して差押えを申し立てるため、その残高の原資が労災年金であっても、手続き上は適法な差押えとして扱われてしまいます。ただし、近年の裁判例では、口座の取引履歴から原資が明らかに差押禁止債権であると識別できる場合などに、差押えを違法としたり、後述する差押範囲の変更を認めたりする判断も出ています。
ケース2:国税等の滞納による差押処分
税金や社会保険料などの公租公課を滞納した場合、国税徴収法に基づき、裁判所を通さずに行政庁の権限で財産を差し押さえる「滞納処分」が行われます。この滞納処分は、民事上の差押えとは異なる強力な手続きです。
- 根拠法: 国税徴収法
- 執行機関: 税務署などの行政庁
- 債務名義: 不要(督促などを経て自力で執行可能)
- 差押対象: 預金口座に振り込まれた後の労災年金は、実務上、差押えの対象とされることが一般的です。
労災保険法には国税滞納処分による差押えを認める例外規定はありませんが、預金債権に転化したという理屈が適用され、口座に入金された後の資金は差し押さえられるリスクが非常に高いのが実情です。
ケース3:年金担保貸付制度を利用している場合
かつては、独立行政法人福祉医療機構が実施する公的な「年金担保貸付制度」を利用することで、例外的に年金受給権を担保にお金を借りることができました。しかし、この制度は利用者の生活困窮を招くなどの問題点から、令和4年3月末をもって新規の申込受付を終了しました。
- 公的制度: 新規の利用はすでにできません。
- 既存の借入: 制度終了前に契約した場合は、完済まで年金からの天引きなどが継続されます。
- 民間の融資: 現在、年金を担保にお金を貸すことは法律で固く禁じられています。そのような勧誘を行う業者は違法なヤミ金融業者であり、絶対に関わってはいけません。
労災年金が振り込まれた預金口座を差し押さえられた場合の対処法
裁判所への「差押禁止債権の範囲の変更の申立て」手続き
労災年金が振り込まれた預金口座が差し押さえられ、生活に著しい支障が生じた場合、「差押禁止債権の範囲の変更の申立て」を裁判所に行うことができます。これは民事執行法第153条に基づく救済制度で、預金の原資や債務者の生活状況などを考慮し、裁判所の判断で差押命令の全部または一部を取り消してもらう手続きです。
この手続きは時間との勝負であり、迅速な対応が求められます。
- 差押命令を発令した地方裁判所に対し、申立書と必要書類を提出します。
- 申立ては、差押命令が債務者に送達されてから原則として1週間以内に行う必要があります。
- 申立てと同時に「執行停止の申立て」を行い、裁判所の決定が出るまで債権者への支払いを一時的に止めてもらいます。
申立てが認められるための要件と準備すべき資料
申立てが認められるためには、「差し押さえられた預金の原資が労災年金であること」と「その預金がなければ生活を維持できないこと」を客観的な資料で証明(疎明)する必要があります。
申立ての際には、以下のような資料を準備します。
- 年金の受給を証明する書類: 労災年金の支給決定通知書、振込通知書など
- 預金の原資を証明する書類: 該当口座の預金通帳の写し(年金の定期的な入金が確認できるもの)
- 生活状況を説明する書類: 世帯全員の住民票、給与明細、課税証明書、家計収支表など
単に年金が振り込まれているという理由だけでは認められず、差押えによって最低限度の生活が脅かされるという切実な状況を具体的に示すことが重要です。
従業員から差押えの相談を受けた際の企業の対応と留意点
従業員から労災年金の口座が差し押さえられたと相談を受けた場合、企業担当者は冷静に対応し、適切な情報提供と専門家への橋渡しに徹することが重要です。
- 従業員のプライバシーに最大限配慮し、冷静に事実関係を確認します。
- 「差押禁止債権の範囲の変更の申立て」という救済制度があることを情報提供します。
- 申立てには1週間という短い期限があるため、速やかに弁護士や法テラス等の専門機関へ相談するよう促します。
- 会社が直接債権者と交渉することは非弁行為のリスクがあるため避け、あくまで専門家への橋渡しに徹します。
- 社内での情報管理を徹底し、従業員が職場内で不利益を被らないよう配慮します。
労災年金の差押えに関するよくある質問
Q. 会社が従業員に有する債権で労災年金を差し押さえられますか?
いいえ、できません。会社が従業員に対して貸付金などの債権を持っていても、労働者災害補償保険法第12条の5により、労災年金の受給権そのものを差し押さえることは明確に禁止されています。また、この権利を会社の債権と一方的に相殺することも許されません。ただし、年金が銀行口座に振り込まれた後、その「預金」を裁判所の判決などに基づいて差し押さえることは、一般の債権回収手続きとして理論上は可能です。
Q. 障害年金や遺族年金も同様に差押禁止ですか?
はい、同様に差押えが禁止されています。労働者災害補償保険法が定める「保険給付を受ける権利」には、障害(補償)年金や遺族(補償)年金も含まれており、給付の種類を問わず、受給権の段階での差押えは認められません。また、国民年金や厚生年金から支給される障害年金や遺族年金についても、それぞれの法律で同様の差押え禁止規定が設けられており、公的年金は広く保護されています。
Q. 労災年金の振込口座を給与口座と分けるべきですか?
はい、強く推奨します。万が一、預金口座が差し押さえられた際に「差押禁止債権の範囲の変更の申立て」を行う場合、「預金の原資が差押え禁止の年金であること」を証明しやすくなります。給与など他の入金と混ざっていると、どの部分が年金由来の資金かの特定が困難になることがあります。労災年金専用の口座を設けておくことで、口座残高のすべてが年金由来であることを客観的に示しやすくなり、ご自身の生活資金を守るための有効な自衛策となります。
まとめ:労災年金の差押えは原則禁止だが、預金化後は注意が必要
本記事では、労災年金の差押えに関する法的な取り扱いについて解説しました。最も重要な点は、労災年金を受け取る「受給権」そのものは、法律により差押えや相殺が固く禁止されているという原則です。会社が従業員に対して債権を有する場合でも、この原則は揺るぎません。
しかし、年金が銀行口座に振り込まれ「預金債権」に性質が変化した後は、第三者からの差押えや国税等の滞納処分の対象となり得る点に注意が必要です。この「受給権」段階での保護と「預金債権」化後のリスクの違いを正確に理解しておくことが、実務上の判断を誤らないために不可欠です。
もし従業員から預金差押えの相談を受けた場合、企業担当者としては「差押禁止債権の範囲の変更の申立て」という救済制度があることを伝え、迅速に弁護士等の専門家へ相談するよう促すことが適切な対応となります。従業員の生活を守るためにも、法務・人事担当者はこれらの知識を備えておくことが求められます。

