医薬品の品質リスクマネジメント(QRM)とは?ICH Q9ガイドラインのポイントと実践プロセスを解説
医薬品の品質保証や製造管理に携わる中で、GMP省令や国際的なガイドラインへの対応は常に重要な課題です。特に、品質リスクマネジメント(QRM)は、患者様の安全を確保し、安定供給を実現するための根幹をなす考え方ですが、その概念やプロセスを実務にどう落とし込むべきか悩む場面も少なくないでしょう。この記事では、QRMの国際的な指針であるICH Q9ガイドラインの基本原則から、リスクアセスメント、コントロール、コミュニケーション、レビューといった一連のプロセス、そして現場での具体的な活用事例までを体系的に解説します。
医薬品における品質リスクマネジメント(QRM)の基本
品質リスクマネジメント(QRM)とは?定義と目的を解説
品質リスクマネジメント(QRM: Quality Risk Management)とは、医薬品の製品ライフサイクル全体を通じて、品質に関するリスクを評価・管理・伝達・見直しを行う体系的なプロセスのことです。このアプローチは、単なる規制遵守のための形式的な手続きではありません。患者に危害を及ぼす可能性のある事象を科学的根拠に基づいて特定し、その発生確率や影響の重大性を分析した上で、リスクを許容可能なレベルまで低減・管理することを目的とします。
従来、経験則に頼りがちだった医薬品製造の管理にQRMを導入することで、科学的知見とデータに基づく客観的な意思決定が可能になります。製品の品質不良や供給不足といったリスクが表面化する前に予見的な対策を講じ、最終的に患者の安全と健康を保護することが最大の目的です。
医薬品開発・製造の全段階でQRMが重要視される理由
医薬品は人の生命に直接関わるため、開発から製造、流通、市販後のすべての段階で品質リスクを適切に管理することが極めて重要です。
- 開発段階: 製剤の重要品質特性や製造工程の重要パラメータを特定し、頑健な製造プロセスを設計するために活用されます。
- 製造段階: 逸脱や変更の管理、バリデーションといった品質保証活動において、リスクの大きさに応じたメリハリのある資源配分を可能にします。
- サプライチェーン: グローバル化で複雑化した供給網において、品質問題に起因する医薬品の供給不足を防ぎ、安定供給を確保する上で不可欠です。
- 規制対応: 企業が自律的にリスクを管理する能力の指標として規制当局も重視しており、適切な運用は当局との信頼関係構築にも寄与します。
QRMの根拠となるICH Q9ガイドラインとGMP省令
品質リスクマネジメントにおける2つの基本原則
ICH Q9ガイドラインでは、効果的な品質リスクマネジメントの根幹をなす2つの基本原則が示されています。
- 原則1: 品質リスクの評価は科学的知見に基づき、最終的に患者の保護に繋がるものでなければならない。
- 原則2: 品質リスクマネジメントのプロセスにおける労力、形式、文書化の程度は、リスクのレベルに応じたものであるべきである。
第一の原則は、リスク評価が主観や憶測ではなく、データや科学的根拠に基づいて行われ、常に患者の安全が最優先されることを求めています。第二の原則は、すべてのリスクに一律の対応をするのではなく、リスクの大きさに応じて管理の厳密さを調整する「リスクベースドアプローチ」の考え方を示しており、効率的かつ効果的なリスク管理を実現します。
ICH Q9ガイドラインの概要と主要な構成要素
ICH Q9「品質リスクマネジメントに関するガイドライン」は、日米欧の規制当局と製薬業界の合意によって策定された、医薬品の品質リスク管理に関する国際的な指針です。このガイドラインは、企業と規制当局が共通の理解のもとでリスク管理に取り組むための枠組みを提供します。
QRMは、以下の主要なプロセスから構成される体系的なアプローチです。
- リスクアセスメント: リスクを特定、分析、評価する。
- リスクコントロール: 特定されたリスクを低減または受容する。
- リスクコミュニケーション: リスクに関する情報を関係者間で共有する。
- リスクレビュー: 管理策の有効性を継続的に見直す。
このガイドラインは、開発から製造、査察や承認審査に至るまで、医薬品のライフサイクルに関わるあらゆる場面で活用が想定されています。
近年のICH Q9(R1)改正の動向と実務への影響
2023年に改訂されたICH Q9(R1)では、従来の運用における課題を解消するため、特に4つの領域でガイダンスが強化されました。
- 主観性の低減: 評価者個人の経験や偏見による判断のばらつきを抑え、客観的データに基づく評価の重要性が強調されました。
- 形式性の適切な適用: すべてのリスクに複雑なツールや膨大な文書化は不要であり、リスクの程度に応じて形式のレベルを柔軟に調整すべきことが明記されました。
- 医薬品供給不足リスクの考慮: 品質問題に起因する供給不足も患者への危害と捉え、サプライチェーンを含めた安定供給のリスク管理が求められるようになりました。
- リスクに基づく意思決定の強化: QRMが意思決定にどう貢献したかを明確にすることが、より一層求められるようになりました。
この改訂により、製薬企業の実務現場では、従来のリスク管理手法の見直しや、安定供給を考慮した新たなリスク評価の導入などが求められています。
GMP省令における品質リスクマネジメントの位置づけと要求事項
日本のGMP省令(医薬品及び医薬部外品の製造管理及び品質管理の基準に関する省令)においても、品質リスクマネジメントは推奨事項ではなく、遵守すべき法的要件として明確に位置づけられています。
- 医薬品の品質に影響を及ぼす恐れのある事象を特定し、リスクを評価すること。
- 評価結果に基づき、必要な措置を講じること。
- 品質リスクマネジメントを実施するための手順書を作成し、従うこと。
- 実施した活動と結果を記録し、保管すること。
QRMは独立した活動ではなく、医薬品品質システム(PQS)の一部として、変更管理や逸脱管理といった他のGMP活動と有機的に連携させて運用することが求められます。
品質リスクマネジメント(QRM)の具体的なプロセス
プロセス①:リスクアセスメント(リスクの特定・分析・評価)
リスクアセスメントは、リスクを理解するための最初のステップであり、以下の手順で進められます。
- ハザード特定: 製品品質や患者安全に悪影響を及ぼす可能性のある潜在的な危害の原因(ハザード)を網羅的に洗い出します。ICH Q9(R1)では、このステップの用語が「リスク特定」から「ハザード特定」へと変更され、危害の原因が明確化されました。
- リスク分析: 特定されたハザードが実際に発生する確率と、発生した場合の危害の重大性を推定し、リスクの大きさを算出します。危害を事前に検出できる能力(検出性)も考慮されることがあります。
- リスク評価: 分析によって算出されたリスクの大きさを、あらかじめ設定したリスク受容基準と比較し、そのリスクが許容できる範囲か、あるいは低減措置が必要かを判断します。
プロセス②:リスクコントロール(リスクの低減・受容)
リスクコントロールは、リスクアセスメントの結果に基づき、リスクに対する具体的な措置を決定・実行するプロセスです。主に「リスク低減」と「リスク受容」の2つの活動からなります。
リスクが許容基準を超える場合は、リスク低減措置を講じます。これには、リスクの発生確率を下げる対策、危害の重大性を軽減する対策、検出能力を向上させる対策などがあります。重要なのは、対策を講じることで新たなリスクが発生しないかを確認することです。
一方、リスクが許容可能なレベルである場合や、対策後も完全に除去できない残留リスクについては、そのリスクを受容する決定を行います。この決定は、正当な根拠に基づいて行われ、責任者の承認を得る必要があります。
プロセス③:リスクコミュニケーションの役割と実施タイミング
リスクコミュニケーションは、リスクに関する情報や意見を、意思決定者や関係部門、規制当局などの利害関係者間で双方向に共有するプロセスです。その目的は、関係者全員がリスクの性質や管理方針の決定根拠を正しく理解し、認識を統一することにあります。
この活動は特定の段階だけで行われるものではなく、リスクマネジメントのプロセス全体を通じて継続的に実施されるべきです。情報の透明性を確保することは、適切な意思決定と信頼関係の構築に不可欠です。
部門間で認識がずれないためのリスクコミュニケーションの注意点
リスクに対する認識は、個人の立場や専門性によって異なるため、コミュニケーションの過程で解釈のずれが生じやすいという課題があります。部門間の認識のずれを防ぐためには、以下の点に注意することが重要です。
- 共通の用語や定義を用いて、言葉の解釈がぶれないようにする。
- リスクの評価基準や判断根拠を明確に文書化し、関係者間で共有する。
- 一方的な情報伝達ではなく、多様な視点を取り入れる対話の場を設け、合意形成を図る。
プロセス④:リスクレビューによる継続的な見直しと改善
リスクレビューは、一度行ったリスク管理の結果や有効性を定期的に、あるいは必要に応じて見直すプロセスです。医薬品のライフサイクルを通じて新たな知見や技術、予期せぬ事象が発生する可能性があるため、リスクは常に監視されなければなりません。
製品品質照査や監査のような計画的な機会だけでなく、逸脱や苦情、製品回収といった計画外の事象が発生した際にもリスク評価の見直しが必要です。その結果、必要に応じて新たな対策を講じることで、品質マネジメントシステムの継続的な改善へと繋げていきます。
QRMで用いられる手法と現場での活用事例
QRMで活用される代表的な手法とツール(FMEA・FTA・HACCPなど)
品質リスクマネジメントを実践する際には、目的に応じて様々な手法やツールが用いられます。これらはリスクを可視化し、客観的な評価を助ける役割を果たします。
| 手法名 | 概要 | 主な用途 |
|---|---|---|
| FMEA (故障モード影響解析) | プロセスや製品の構成要素が故障した場合の影響を予測・評価する手法。 | 製造工程や製品設計における潜在的リスクの特定と優先順位付け。 |
| FTA (故障の木解析) | 特定の好ましくない事象(トップ事象)の原因を樹形図で論理的に遡る手法。 | 逸脱や不具合発生時の根本原因調査。 |
| HACCP (危害分析・重要管理点) | 製造工程における危害要因を分析し、それを管理するための重要管理点を設定する手法。 | 製造工程管理の設計、特に微生物汚染等の管理。 |
これらのツールは単独で、あるいは組み合わせて使用され、リスクの性質や問題の複雑さに応じて最適なものが選択されます。
製造現場における活用事例(逸脱管理・変更管理)
製造現場では、QRMは日常の品質保証活動に組み込まれています。
逸脱管理においては、発生した逸脱が製品品質に与える影響の大きさをリスクアセスメントで評価します。その結果に基づき、リスクが高い逸脱には詳細な原因究明と根本的な是正・予防措置(CAPA)を実施し、リスクが低い場合はより簡易な処置で済ませるなど、調査の深度や対応の優先順位を判断します。
変更管理においては、製造設備や原材料、作業手順などを変更する際に、その変更が製品の品質や承認事項に与える潜在的なリスクを事前に評価します。これにより、追加試験やバリデーションの必要性を判断し、変更後の品質を保証します。
開発段階における活用事例(重要品質特性の特定など)
医薬品開発段階でのQRMの適用は、商業生産での品質問題を未然に防ぐ上で極めて重要です。製剤設計の初期段階で、患者の安全性や有効性に直結する重要品質特性(CQA)を特定し、それに影響を与える重要工程パラメータ(CPP)を明らかにするためにリスクアセスメントが実施されます。
例えば、原料の物性や製造条件が最終製品の溶出性や均一性にどう影響するかを科学的に分析し、その結果に基づいて管理戦略を構築します。開発段階で得られたリスクに関する知識は、技術移転を通じて製造現場へ引き継がれ、商業生産における管理基準の設定やバリデーション計画の策定に活かされます。
QRMを形骸化させないための組織的な運用ポイント
QRMを単なる文書作成作業で終わらせず、実効性のある活動にするためには、組織的な取り組みが不可欠です。形骸化を防ぐためには、以下の点が重要となります。
- QRMを単独のイベントではなく、既存の品質マネジメントシステム(QMS)に完全に統合し、日常業務の一部として運用する。
- リスク評価の結果が、実際の業務改善やリソース配分といった意思決定に明確に反映される仕組みを構築する。
- 「責任追及」ではなく「原因追及」の姿勢を基本とし、失敗から学ぶ文化を醸成する。
- 全従業員を対象とした教育訓練を継続的に行い、科学的根拠に基づいた客観的な議論ができる組織風土を育む。
まとめ:QRMを実務に活かし、患者の安全と安定供給を実現するために
本記事では、医薬品における品質リスクマネジメント(QRM)について、その定義と目的、根拠となるICH Q9ガイドライン、そして具体的なプロセスと現場での活用事例を網羅的に解説しました。QRMの核心は、科学的知見に基づいてリスクを評価し、そのレベルに応じた管理を行うことで、最終的に患者の安全を保護することにあります。このアプローチは、GMP省令でも要求される医薬品品質システム(PQS)の根幹をなすものです。
QRMを形骸化させず実効性のあるものにするためには、逸脱管理や変更管理といった日常業務にその考え方を統合し、組織的な意思決定に明確に反映させることが不可欠です。近年のICH Q9(R1)改訂で示された主観性の低減や供給不足リスクへの配慮といった新たな視点も踏まえ、自社のリスク管理体制を継続的に見直しましょう。この記事で得た知識が、より科学的で効果的な品質保証体制の構築に向けた一助となれば幸いです。

