労災保険は物損を補償する?対象範囲と車両・携行品の損害賠償請求先を解説
業務中や通勤中の事故で、ご自身の車両や携行品が破損してしまい、その補償についてお困りではないでしょうか。多くの方が「労災保険で物損もカバーされるのか」と疑問に思われますが、結論から言うと、労災保険は人身損害を対象とする制度のため、物損は直接の補償対象外となります。しかし、補償を諦める必要はありません。この記事では、労災保険が物損を補償しない理由を明確にし、加害者や会社への損害賠償請求、自動車保険の活用など、物損の損害を回復するための具体的な方法と手続きの流れをケース別に詳しく解説します。
【結論】労災保険は物損の損害を直接補償しない
労災保険の目的と補償範囲(人身損害が対象)
労災保険(労働者災害補償保険)は、労働者が業務または通勤が原因で負傷、疾病、障害、死亡といった労働災害に遭った場合に、被災した労働者やその遺族を保護するための社会保険制度です。この制度は、労働者の身体や生命に加えられた損害、すなわち人身損害を補償することを目的としています。したがって、事故によって破損した物品などの物損は、制度の趣旨から外れるため補償の対象外となります。
例えば、業務中に転倒して怪我をした場合、治療費は労災保険から給付されますが、同時に壊れた眼鏡や衣服、スマートフォンなどの修理費用は給付されません。労災保険が補償するのは、あくまで労働者の身体的な損害の回復や生活保障に関する費用です。
- 治療費に相当する「療養(補償)給付」
- 仕事を休んだ際の賃金補填に相当する「休業(補償)給付」
- 後遺障害が残った場合の「障害(補償)給付」
- 死亡した場合の「遺族(補償)給付」や「葬祭料(葬祭給付)」
- 介護が必要になった場合の「介護(補償)給付」
車両・PC・携行品などの物損が補償対象外となる理由
労災保険が、業務中に破損した車両やパソコン、個人の携行品といった物損を補償の対象としないことには、明確な理由があります。これは制度の成り立ちや法的な位置づけ、財政的な制約に基づいています。
- 制度目的: 労災保険は労働基準法に定められた会社の災害補償責任を肩代わりする制度であり、その補償範囲は伝統的に人身損害に限定されているため。
- 財政上の制約: 全国の事業主から集めた保険料を原資としており、財源は労働者の生命や身体の保護、社会復帰の促進といった本来の目的に優先的に充てられるべきであるため。
- 損害賠償との切り分け: 物損は、民法上の不法行為責任や契約責任に基づく財産的損害の問題として扱われ、人身損害を対象とする労災保険給付とは法的な性質が異なるため。
このように、労災保険は人身損害の救済に特化した制度設計となっており、物損については加害者への損害賠償請求や、任意で加入する損害保険によって対応すべき領域と整理されています。
労災保険の対象外となる物損の損害賠償請求先と方法
ケース1:事故の加害者(第三者)がいる場合の損害賠償請求
業務中や通勤中に、交通事故のように第三者の行為によって労働災害(第三者行為災害)が発生し、物損も生じた場合、労災保険でカバーされない物損部分は、加害者に対して民法上の不法行為(民法709条)に基づいて損害賠償を請求することになります。
請求手続きは、多くの場合、加害者が加入している自動車保険の対物賠償保険の担当者との示談交渉を通じて進められます。請求にあたっては、損害額を客観的に証明する証拠(見積書、写真、領収書など)を準備することが重要です。
- 車両の修理費用、または修理不能な場合は当該車両の時価額
- 修理期間中に必要となった代車の使用料
- 事故によって破損した衣服、眼鏡、携行品などの時価相当額
- 車両の積荷が破損した場合の損害額
交渉では過失割合が争点になることが多く、提示された割合に納得できない場合は、ドライブレコーダーの映像などの客観的証拠をもとに交渉する必要があります。なお、物損に関する示談は、労災保険給付とは調整されないため、人身損害部分とは切り離して先行して進めることが可能です。
ケース2:会社に安全配慮義務違反などが認められる場合の損害賠償請求
第三者がいない自損事故や、社内の設備が原因で私物が破損した場合でも、その原因が会社側にあると認められれば、会社に対して損害賠償を請求できる可能性があります。これは、会社が労働者に対して負う安全配慮義務(労働契約法第5条)の違反などを根拠とします。
例えば、会社が整備不良の機械を使わせていたために事故が起き、従業員の腕時計が壊れたようなケースでは、会社の管理責任が問われることがあります。また、事業所の床が濡れていて滑りやすくなっていたにもかかわらず放置され、転倒して私物のパソコンが壊れた場合なども、工作物責任(民法717条)に基づき会社の責任を追及できる場合があります。
請求する際は、会社の具体的な義務違反の内容と、それによって損害が発生したという因果関係を立証する必要があります。実務上は、まず会社と直接交渉し、会社が加入する施設賠償責任保険などを使って補償がなされることが多いですが、交渉がまとまらなければ労働審判や訴訟といった法的手続きを検討します。ただし、従業員自身の不注意も事故の一因である場合は、過失相殺により賠償額が減額されることがあります。
従業員自身の過失で会社の備品を破損した場合の扱い
業務中に従業員の不注意で会社の車両や備品を破損させてしまった場合、会社から従業員へ損害賠償を請求されることがあります。しかし、従業員がその損害の全額を賠償する義務を負うことは稀です。日本の法律では、会社は従業員の労働によって利益を得ている以上、業務に伴うリスクも負担すべきという「報償責任の法理」が考慮されるためです。
裁判例においても、従業員の責任は信義則上相当と認められる範囲に制限されるのが一般的です。全額賠償が認められるのは、故意や飲酒運転といった極めて悪質なケースに限られます。また、以下の行為は法律で禁止されています。
- 就業規則などで、あらかじめ損害賠償額を予定すること(労働基準法第16条違反)
- 従業員の同意なく、一方的に給与から賠償金を天引きすること(労働基準法第24条違反)
実務的には、会社が加入する保険をまず適用し、保険でカバーしきれない部分について、従業員の過失の程度に応じて負担割合を協議するのが妥当な対応といえます。
業務災害と通勤災害における物損対応の違い
業務災害における物損の基本的な考え方
業務災害とは、労働者が事業主の支配管理下で業務を遂行中に発生した災害を指します。業務災害で生じた人身損害は労災保険の対象ですが、物損は対象外です。物損の責任の所在は、その物品が誰の所有物かによって異なります。
- 従業員の私物の場合: 原則として従業員の自己負担となります。ただし、会社の施設管理の不備が原因である場合などは、会社に損害賠償を請求できる可能性があります。
- 会社の備品・社用車の場合: 原則として会社がその損害を負担します。業務に伴うリスクは、利益を得ている会社が負担すべきという「報償責任の法理」に基づく考え方です。ただし、従業員に故意や重大な過失がある場合は、会社から一部負担を求められることがあります。
通勤災害における物損と自動車保険(自賠責・任意)の適用
通勤災害とは、労働者が自宅と職場を合理的な経路・方法で往復する際に発生した災害を指します。通勤中の交通事故などで物損が生じた場合、労災保険は適用されないため、自動車保険による対応が基本となります。
まず、物損は人身損害のみを対象とする自賠責保険では補償されず、任意保険の領域となります。相手方がいる事故では、相手の対物賠償保険から補償を受けるのが基本ですが、自身の過失分は補償されません。自身の車両の修理には、自分の車両保険を使用できますが、等級ダウンによる保険料の値上がりも考慮する必要があります。また、個人の携行品の損害は、自動車保険に「身の回り品補償特約」などを付けていれば補償される場合があります。通勤は会社の直接の指揮命令下ではないため、原則として会社に物損の補償を求めることは困難です。
人身損害における労災保険と自動車保険の使い分け
業務中や通勤中の交通事故で人身損害を被った場合、被害者である労働者は、労災保険と加害者の自動車保険のどちらを先に使うかを選択できます。それぞれにメリット・デメリットがあり、状況に応じて有利な方を選ぶことが重要です。ただし、同じ損害に対して両方から二重に補償を受けることはできず、支給調整が行われます。
以下に、両制度の主なメリットを比較します。
| 比較項目 | 労災保険のメリット | 自動車保険のメリット |
|---|---|---|
| 過失相殺 | 自分に過失があっても給付額は減額されない | 自分の過失割合分は賠償額が減額(相殺)される |
| 治療費 | 症状固定まで治療費の打ち切り圧力が少なく、安心して治療に専念しやすい | 治療が長期化すると保険会社から打ち切りを打診されることがある |
| 休業補償 | 給付基礎日額の80%相当(休業特別支給金20%含む)が補償される | 原則として実収入の100%が補償される |
| 慰謝料 | 慰謝料の支払いは制度上ない | 入通院慰謝料や後遺障害慰謝料が支払われる |
| 特別支給金 | 損害賠償額と調整されないため、最終的な受取総額が増える可能性がある | このような制度はない |
実務上は、ご自身の過失が大きい事故では労災保険を、相手方の過失が100%に近い事故では自動車保険を先行させるといった使い分けが考えられます。物損については労災保険の対象外のため、人身損害は労災保険、物損は自動車保険と、並行して手続きを進めることになります。
【ケース別】具体的な物損の種類と対応例
社用車やマイカー通勤中の自家用車が破損した場合
業務中の事故で社用車が破損した場合、その修理費は原則として会社が負担します。従業員に重大な過失がなければ、従業員が修理費を負担する必要はありません。
一方、マイカー通勤中に事故に遭い自家用車が破損した場合は、原則として従業員の自己負担となります。ただし、会社からの指示で私有車を業務に使用している最中の事故であれば、会社も運行供用者責任などを負う可能性があり、修理費の負担について会社と協議する余地があります。
業務で使うPC・スマートフォンなどの会社備品が破損した場合
業務中に会社から貸与されたパソコンやスマートフォンを過失により破損させた場合、その修理費用は原則として会社が負担します。業務に通常伴うリスクの範囲内と判断されるためです。従業員に全額を弁償させることは、権利の濫用とみなされる可能性が高いです。ただし、従業員が故意に破壊した場合や、通常では考えられないような重大な過失があった場合は、損害の一部について賠償を求められることがあります。
眼鏡・衣服・私物のPCなど個人の携行品が破損した場合
業務中の事故で個人の眼鏡、衣服、私物のパソコンなどが破損した場合、これらは労災保険の補償対象外です。対応方法は以下のようになります。
- 加害者がいる場合: 加害者の対物賠償保険などに対して、時価額を上限として損害賠償を請求します。
- 自損事故などの場合: 原則として自己負担となります。ただし、会社によっては福利厚生の見舞金制度があったり、個人で加入している傷害保険や火災保険の携行品損害特約が利用できたりする場合があります。
特に眼鏡は身体の一部のように重要なものですが、法律上は「物」として扱われるため、物損として処理する必要があります。
従業員の私物損害に対する会社の補償判断のポイント
業務中に従業員の私物が破損した際に、会社が補償義務を負うかどうかの判断は、「業務遂行性」と「会社の帰責性」がポイントになります。会社が業務のために私物の使用を指示・許可していた状況で、会社の施設管理の不備などが原因で破損した場合は、会社が責任を負う可能性が高まります。一方で、従業員が許可なく私物を持ち込み、自身の不注意で破損させた場合は、会社に補償義務はないと判断されるのが一般的です。トラブル防止のため、私物の業務利用に関するルールを就業規則などで明確にしておくことが望ましいでしょう。
物損を伴う労災事故が発生した際の対応フロー
まず実施すべき初期対応(負傷者の救護・警察への連絡)
物損を伴う労災事故が発生した場合、パニックにならず、冷静に以下の手順で初期対応を行うことが重要です。
- 負傷者の救護: 自身の怪我の確認と、同乗者や相手方の負傷者の救護を最優先します。必要であれば直ちに119番通報します。
- 危険防止措置: 車を安全な場所に移動させる、発煙筒や三角表示板を設置するなど、後続車による二次災害を防ぎます。
- 警察への連絡: 事故の大小や怪我の有無にかかわらず、必ず110番通報します。警察への届出は法律上の義務であり、後の保険請求に必要な「交通事故証明書」を発行してもらうためにも不可欠です。
会社への報告義務と報告すべき内容
初期対応が落ち着いたら、速やかに会社(直属の上司、総務部など)へ事故の報告をします。これは従業員の義務であり、労災手続きや保険対応を円滑に進めるために不可欠です。
- 事故が発生した日時と場所
- 事故の当事者(自分と相手)の情報
- 事故の状況(何がどのようにして起こったか)
- 怪我の有無とその程度
- 物損の状況(車両や備品の破損具合)
- 警察への届出や病院の受診など、既に行った対応
関係する保険会社への連絡と手続き
会社への報告と並行し、関係する保険会社にも連絡します。社用車の場合は会社の保険担当者を通じて、マイカーの場合は自身が加入する任意保険会社に連絡します。その際、業務中または通勤中の事故であり、労災保険を使用する予定であることを明確に伝えましょう。物損の修理については自動車保険で対応することになるため、人身損害と物損でそれぞれ手続きを進める旨を確認します。
損害賠償請求のための証拠保全(写真・記録・目撃者情報)
物損の損害額や過失割合をめぐる交渉を有利に進めるため、事故直後の証拠を保全しておくことが非常に重要です。
- 事故現場全体の状況がわかる写真
- 車両の損傷箇所のアップ写真
- ブレーキ痕や道路状況の写真
- 破損した携行品の写真
- 相手方の氏名、連絡先、車両ナンバー、加入保険会社の記録
- 目撃者がいれば、その方の氏名と連絡先の確保
- ドライブレコーダーの映像データの保存
加害者(第三者)がいる場合に必須となる「第三者行為災害届」の手続き
交通事故など第三者の行為によって被災し、労災保険を利用する場合は、労働基準監督署へ「第三者行為災害届」を提出する必要があります。これは、本来加害者が負担すべき損害賠償額を労災保険が一時的に立て替える形になるため、後日、国(政府)が加害者側へその費用を請求(求償)できるようにするための手続きです。この届出をしないと労災給付の支給が遅れたり、支給調整の対象となったりする可能性があるため、速やかに行いましょう。
労災の物損に関するよくある質問
労災事故で怪我はなく、物損のみの場合でも会社への報告は必要ですか?
はい、必ず報告が必要です。怪我がなく物損だけの事故であっても、業務時間中や通勤中に発生した以上、会社には安全管理上の把握責任があります。また、事故直後は無症状でも後から痛みが出てくる(むち打ちなど)可能性もあり、最初に報告しておかないと、後から労災申請する際に事故と業務の関連性を証明するのが難しくなる恐れがあります。
- 会社に業務遂行状況を正確に把握させるため
- 社用車の修理や保険手続きに必要となるため
- 後から人身損害の症状が発覚する可能性があるため
- 事故原因を分析し、会社の再発防止策に役立てるため
物損事故の加害者が任意保険に加入していない場合、どうすればよいですか?
加害者が任意保険に未加入の場合、物損の賠償請求は加害者本人と直接交渉することになり、支払いが滞るなど困難を伴うケースが多くなります。このような場合は、まずご自身が加入している自動車保険が利用できないかを確認しましょう。車両保険に加入していれば、ご自身の保険を使って車両を修理できます。また、弁護士費用特約が付帯していれば、弁護士に依頼して加害者との交渉や法的手続きを進める際の費用を保険で賄うことができます。
会社の備品を従業員の過失で破損させた場合、全額賠償する必要がありますか?
いいえ、原則として全額を賠償する必要はありません。従業員に過失があったとしても、会社は従業員の働きによって利益を得ている以上、業務に付随するリスクも負担すべき(報償責任の法理)とされています。過去の裁判例でも、従業員の賠償責任は損害の一部に制限されるのが一般的です。ただし、故意(わざと壊した)や、飲酒運転のような重大な過失がある場合は、賠償責任の範囲が大きくなる可能性があります。
事故の過失割合は誰がどのように決めるのですか?
事故の過失割合は、警察が決めるものではありません。警察は事故の事実を捜査・記録するだけで、民事上の責任割合には介入しません。過失割合は、基本的には事故の当事者双方(または代理人である保険会社の担当者)の話し合いによって決まります。その際、過去の膨大な裁判例を類型化・分析した「判例タイムズ」などの基準が参考にされます。提示された過失割合に納得できない場合は、ドライブレコーダーの映像などの客観的な証拠をもとに、相手方と交渉することになります。
まとめ:労災の物損は対象外。事故状況に応じた損害賠償請求が重要
本記事で解説した通り、労災保険は労働者の身体的な損害を補償する制度であり、車両や携行品といった物損は直接の補償対象外です。そのため、物損の損害を回復するには、労災保険とは別に、事故の状況に応じた対応が求められます。具体的には、加害者がいる場合はその対物賠償保険へ、会社の施設不備などが原因であれば会社へ、それぞれ損害賠償を請求するのが基本となります。また、従業員が会社の備品を破損させた場合でも、故意や重過失がなければ全額賠償の義務を負うことは通常ありません。事故発生時には、まず初期対応と会社への報告を徹底し、誰に責任があるのかを見極めた上で、適切な相手に証拠をもって請求手続きを進めることが解決への第一歩となります。

